職人今昔
8.組合員訪問記(おまけ)
木殺しの勇(きごろしのゆう)さんの息子
(株)アラキ工務店社長 荒木正亘(あらきまさのぶ)さん
組合員訪問記も100回目。
しかし本当は1回ダブりがあるので101人目です。組合の創立四十周年など東奔西走する荒木正亘さん(六十歳)を訪問しました。
荒木さんは、最近よく上着の下に赤いセーターを着込まれていますが、この日もその姿が、さりげなくて小粋、という感じでした。十七歳の時、中京の大工に奉公、十年後に独立しました。宮大工の棟梁で「木殺しの勇さん」と呼ばれ、その仕口の技は有名で、エエ大工やったお父さんを雇い入れるという、かなり大胆で変わった船出でした。「若い時、堀川の組合(現在の京都府建築工業協同組合)に入って、学校(現在の京都建築専門学校)を仲間とつくりました。わたし、その学校の一期生ですわ」
荒木さんは、どんなに忙しかってもその気さえあれば時間はつくれるし何でもできる、と強調します。「こわいもの知らずで何でもアタックしたよ」「やったことのないことでも引っ込み思案にならず、どうしたらできるかを考えてきた」
経営の名コンビとして活躍している弟さんや、住み込みの若い職人を育てるために縁の下で働いた奥さんらによって今日を築き上げたアラキ工務店。いま、代替えという時期を迎えているといわれています。そんな環境からも、荒木さんは次代を担う人への大きい期待を寄せています。「青年部の力が組合の発展にどう寄与するか。組合をどうするか、スローガンをかかげて欲しい。ある程度混乱があってもしかたない、開墾ですから。スローガンをつくったら反対とか賛成とか出せる。何もなかったら何も生まれませんよ」
そしてやはり若い人を育てる話に戻ります。
「機械化によって技術を教える機会が減った。後継者を育てる教育機関が必要です。寮も建てて。中小企業が一企業でできないことを組合がする。それが組合の役割ではないでしょうか」
還暦を過ぎた荒木さん。アラキ工務店の社長として、建設協組の理事長としてのご活躍をまだしばらく続けてもらわなければならないようです。
「何かないか」とか言って組合の事務所に入って来る荒木さんに、まだやって欲しいことは山ほどあります、とつい返事してしまいそうです。
取材中、ずっと横におられた奥さんが、「木殺しの勇さんの着物姿もとても粋でしたよ」と言ったことが妙に荒木んと重なり、どちらのことを言われたのかわからなくなりました。


