職人今昔
2.夏の思い出
暑い夏が毎日続くと、いつも太平洋戦争の終わりの頃を思い出す。
私の住んでいた京都の中京や下京では、京都のまちが爆撃にあい市内全部が火の海となり壊滅するのを防ぐために、堀川通りや御池通り、また学校の周りなど、今日幹線通りといわれるところにある住宅が大量に壊された。特に御池通りには室町筋(京呉服)の大店や素晴らしく大きなお宅が多く建っていた。その家の大黒柱の根元などを鋸で切り、窓も瓦も建具も取り付けたまま、太いロープをかけて百人くらいで引っ張って引き倒す。私たち子どもは面白半分でロープを引くのだが、その家の住民は涙を流し、使用人や奥さんのすすり泣きが今も耳に残っている。モウモウと土埃お立ち上る中、私たちは解体した材木をリヤカーに載せ(子どもたちは板や桟木など1m以下の残材だが)、大人たちは折れたり裂けた柱などを大八重に積んで持ち去り、まるでアリがビスケットに群がるように、一日で全部片付いた。
土や瓦の山に土蔵や大きな石灯籠がポツンと立っている姿が、寂しく感じられた。
昨年、塀付の仕舞屋(しもたや)の改修を手がけ、大正の初めと明治の終わりに建てられた表家と奥の建物を六ヶ月かけて元通りにしたが、そのとき、そのお宅も終戦の日が一日延びていれば今の家がなく、家財を運び出して、その日のうちに壊される運命だったという。そんな話を聞くと、私たちは解体された材でお茶を沸かし、ご飯を炊く助けにはなったけれども、素晴らしい京町家が一軒、また一軒と無くなったことを残念に思い起こす。
今も建替えやマンション建設のために姿を消してゆく壊れた塀を見、壁土や瓦の山を眺めながら、五十年前と今と重なり合う。
八月に入ると暑い日が続き、昔のことが走馬灯のように頭の中を巡り、気持ちがいらいらする毎日だ。


