京都の賑わいと京町家を継承する取り組み
京都の観光資源は誰のものか
観光公害
東京の会社に就職した娘が久しぶりに京都に帰ってくることになった。
「清水寺に行ったことがないので連れてって」との事。人混みが苦手なので、30年近く近寄ったことがなかった二年坂、三年坂を久々に訪れたところ、人でぎっしりの参道。飛び交う多国語。足元に散乱するフルーツの皮とたこ焼きの舟。門前会の人たちが頑張って掃除するのが本当に気の毒になる。
1995年、阪神淡路大震災時に3,534万人だった観光客は、2017年には5,684万人と6割も増加した。宿泊客の22%は外国人客。観光消費額は1兆1268億円となり、2年連続で1兆円を超えている。しかも、この数字には、無許可民泊施設利用者は含まれないため、実態はさらに上回る。
規制と観光
京都では、町並みを守るために2007年に新景観法が制定された。最大の柱は、厳しい高さ制限。幹線通り沿いで45→31m。その内側では、31→15mへと半減された。これにあわせて、新築時の外観や、屋外広告物も厳しく規制され、町並みに調和した色や配置が求められるようになった。
このような規制により、街中に大きなビルが建てられないようになり、希少価値があがるとともに、大量の観光客の宿泊需要を満たすため、京都は過去に経験したことがないような解体→新築ラッシュに直面している。
京都市が公表した2016年度の実態調査によると、京都市中心部の京町家は40,500軒。2008-9年度の調査から約5,600軒も減少している。毎年800軒、一日2軒が解体されている計算だ。
土地需要が増えたため、市中心部の四条烏丸近くでは、350~400万/坪程度まで上昇した。2000年頃は100万/坪前後だったので、4倍近くになる。昨今、不動産取引の7割近くは商業用、そしてその半数以上が外国人及び他府県の方が購入する。首都圏や海外の観光地に比べて土地が安価と考えられているからだ。
ホテル
大型町家はホテルの絶好の建設用地になる。
四条通に面した『四条京町家』は、すでに解体されて、高さ制限いっぱいのホテルが建った。
敷地が広いと高くなった固定資産税が払えない。町内会の住人も、どんどん減っている。昔は長男が商売と町家を継いだが、いまでは、そうした考え方は薄れてきた。しかも、相続が発生したら、建物はわけられないのでいきなり困る。そうした持ち主に、再開発をすすめる不動産屋や、資産活用をすすめるデベロッパーが動き出す。「町家を持ち続けたら、後々大変ですよ」と。かれらは商売なので行政よりも熱心なのだ。
ホテル需要は旺盛で2017年度の客室稼働率は年平均87%を超えるという。賃貸マンションだと、投資資金の回収に20年かかるところ、ホテルにすれば5年で元が取れる。その後は毎年何千万という利益が上がるので、みな儲けには熱心だ。
新築されるホテルは、『新景観法にのっとった外観』といっても、最低限の規制を満たすことしかしない。コンクリートを白と焦茶で塗り分ける。短い軒庇をつけ、アルミで格子を再現する。設計士は京町家の伝統的な外観を再現するのではなく、建築確認が通り、自分の考えたデザインがアピールできれば満足だ。こうして、本当の町家を知らない旅行者は、満足して、instagramで発信する。
ゲストハウス
一方、路地奥や狭い敷地の京町家は、ホテルは建てられないが、ゲストハウスの恰好のターゲットになる。
京都市では、2012年、一定条件を満たす京町家を対象に、玄関帳場(フロント)の設置免除を盛り込んだ独自ルールを新設した。この結果、5年前には10数棟しかなかった京町家の簡易宿所は、2018年9月には597棟まで拡大した。京都市内の簡易宿所2,677軒の2割を超える。
今まで月5万しか家賃が取れなかった古家から1日2-3万の収益があがるようになる。立退料を払ってもお釣りがくる計算だ。しかし、収益から逆算して改修費を計算するため、構造から直されることは稀少だ。
こうして、腐った土台や傾いた柱はそのままに、歪んだ壁の内側に四角い壁を新設し、大壁で仕上げても予算がないのでまあいいかという事になる。それでも、綺麗に内装を仕上げ、旅行客が好きそうな写真をアップすれば、満室になる。
以前は無許可民泊が3,000軒以上ひしめいていたが、今年6月の住宅宿泊事業法(民泊新法)で市の取り締まり権限が強化され、数百件に激減した。同時に制定された駆けつけ条例(宿泊施設の800m以内に管理者を設置)を満たさないと、許可が出ず、AirbnBへの掲載が取り消されたことが大きい。生命線を経たれたに等しいからだ。
営業をやめたゲストハウスはどうなるんだろうか。売却され、京町家として住人が戻ればいいが、放置されたり、解体される危険はかなり高い。
観光推進波と慎重派に求められるもの
地域の結びつき
こうして、街中から住人が消えていく。
町内の半分以上がホテル・ゲストハウス・飲食店になると、町内会はなりたたない。地蔵盆に子供たちが集まらない。町内対抗運動会の出場が半強制になる。火の用心の当番がすぐにまわってくる。
高値で土地を売ったり町家を貸したりして、郊外に引っ越した住人は悠悠自適だ。その一方で、今も頑張って町家を守っている人は不安になる。いつまでも、町家を守って残っているのは、はたして意味があるのか? と悩むようになる。
国の登録有形文化財でさえ、登録を抹消して解体できる日本では、市がいくら重要な京町家と認定しても、歯止めがかからないのが実情だ。現に「京町家ファンド」を使って改修された町家も人手に渡って原型を留めていない物件もある。
京町家を残すために
こうした流れを食い止めようと、京町家再生研究会の要望書が発端となり、2018年5月から『京都市京町家の保全及び継承に関する条例」が制定された。いわゆる解体条例である。重要京町家および京町家保全重点取組築に立地する京町家の解体には1年前の申請が必要になる。違反すると5万円の罰金だ。
今までまったく気づかなかったのに、不動産屋や解体屋に相談したとき、「こんな町家に値打ちがあるの?」と、はじめて気づかされる。
昔は、更地にしたほうが売却しやすかった町家が、そのままでも売れることに気づく。保全・継承にむけた支援により1軒でも救えればとの趣旨だ。
また、京町家作事組では、京町家が次の世代にも受け継がれていくように、町家の構造を建った時の状態に戻し、荒壁の免震性能を生かした改修を進めている。「なんちゃって町家」ではなく「本物の町家」である。
京町家は主に明治中期から昭和初期に伝統木工法の考え方で建てられた建物だ。
水道配管からの漏水や近隣の掘削により沈下した柱を起こし、蟻害の柱を根継する。ファサードをタイルやモルタルで覆った看板建築を元に戻すときは、板庇・木熨斗・付長押など、本来の外観を復元する。
ただ、あまり原理主義に陥ると、住みやすさから遠ざかってしまう。「この町家に住み続けたい、残したい」と思ってもらうことが大切だ。そのために、断熱や設備機器、バリアフリーや採光といった点にも配慮している。
京都のむかう未来
京都市では2020年までには、あと1万室ほど増やす計算をしている。現在では、ホテル用地が枯渇してしまったため、ホテルが建てられなかった用途地域(住居専用地域等)に例外的に建築を認める新制度を2017年度から始めた。その内容をみると、最低客室面積が40㎡以上を想定しているなど、安宿を減らして、高級施設を増やしたいという意図がみえる。
また、2018年10月から施行された宿泊税も1泊2万円以下は一律200円。安宿ほど負担は大きい。
さらに、来年度以降、新景観法で定めた高さ規制を一部地域で緩和する方針を固めたようだ。例えば、現行で31mとなっている御池通り沿いは3~5m引き上げられる。
さらに、今年12月、京都簡易宿所・民泊協会からは民泊駆けつけ条例の撤廃要求が出される予定といわれる。
このように、観光推進派と、慎重派とがせめぎあっている現状が続いているが、あと30年後、50年後、京都はいったいどんな街になるのだろうか。われわれは、京都をどんな街にしていきたいのだろう。
世界中の人たちの生活水準は、確実に上昇している。豊かになれば、誰だって旅行に行きたい。素敵な街に泊まりたい。観光客が増えるのはしごく当然だと思う。しかし、観光客は、ビルが立ち並ぶ光景や、なんちゃって町家で埋め尽くされる京都の街中に魅力を感じるだろうか?
京都は観光客が多すぎて困っているが、僕がいつもダイビングに行く四国の柏島に行く道路から見える景色は、寂れて、シャッターが閉まっている老朽店舗ばかりが延々と続く。また、京都市周辺には大阪のベッドタウンが取り囲んでいるが、分譲住宅の同じような外観のばかりで、観光とは程遠い。それを考えると、まだ希望は持てると思う。
この11月、妻籠に行く機会があり、久々に街道沿いを歩いた。通り沿いに住民憲章が掲示されてあった。
「保存をすべてに優先させるために『売らない』『貸さない』『壊さない』」
京都市中心部では、すでに住人がいなくなってしまい、それを行政が肩代わりする時代になった。
人が溢れれば、いろんな思惑も溢れ、儲け話に熱中する住人・業者・海外マネーが集まってくる。これはある意味仕方のない事かもしれない。でも、魅力ある京都の町を守るために、厳しいルールと仕組みが、今、求められている。
各種規制の内容については、簡略化していますが、いろいろと調べると、しょっちゅう法改正が行われていることに少なからず驚きました。
WEBから写真を拝借するのはよくないので、頑張って清水寺まで調査(^^)に行ってきましたが、観光客ってこんなに多いのと正直びっくりしました。