アラキ工務店 京都市右京区:京町家、古民家、大工さんと建てる家

アラキ工務店 株式会社 アラキ工務店

職人今昔

5.建具

 私の店に朴(ホオノキ)や桂の材が残っている。

 私の父は昔、家で木製建具や、指物類も作っていた。今日のようにアルミ建具が作られると、外廻りの建具は九十%以上がアルミで占められるようになり、建具屋さんの仕事が減ってきた。内部の建具も間取り広くなり、仕切戸が少なくなり、昔に比べて内部建具が約四分の一に減ってきた。
 京都の町家は昔から、畳や建具は定寸の物で取替えができた。京間の寸法の良さは、京間の寸法は畳や建具の寸法に合わした住宅が町を作り上げてきた。そのため万寿寺通りや、夷川通りに新旧の建具を置いて売っているお店が多くあった。また、建具作りの店の仕事に指物の仕事も含まれ、大戸や京格子、供待ちや水屋廻り、お茶席の小物や、炉縁、水差棚、その他いろいろな道具類も作っていたように見受けられた。
 
 私の父は、指物も作る大工でもあったので、若い頃仕事場で上記のものを作っているのをよく見かけた。店でも今も時々、小さい建具、小物棚やテーブル、玄関の下駄箱、水屋、食器棚も作っている。今思うと、昔は建具の種類を殆ど障子と呼び、紙であれば紙張障子、硝子の戸は硝子障子、他に取付場所や動かし方で、雲障子、猫間障子などいろいろあった。材も赤杉をはじめ尾州檜、地檜、ヒバ、地松、地栂など。スリ上げ(雪見)障子、猫間(大阪・江戸猫間)障子で鰐(わに=腰板)付きなどもあり、桟木は美濃紙の巾に合わして中二本~三本入りとしたものだ。

 縁側は昔は板雨戸のみで、明治の終わり頃より硝子が入り、隅丸障子、水腰障子、落し込みの一枚硝子の縁障子などができた。今は茶室の外部雨戸にしか使用しないが、昔の雨戸の溝の突き方は、雨戸板が打流しの為、ククミ下げを上部は内側、下部は外側に付ける。これは、雨戸に当たった雨水が掛け鞘の溝に入るのを防ぐ。この溝の突き方を、雨戸作里(ジャクリ)とか雨戸溝と言う。下部がレールの場合でも下部の納まりも同じ方法で、戸当たりが雨戸の面で下の掛け鞘は出を小さく納める。
 昔は戸というと、蔀戸(しとみど)、板戸、舞良戸、格子戸、唐戸、へぎ戸など外部との仕切に使用する建具を言うらしい。材は松、檜、堅木など丈夫に作られたが、今は木柄も細く繊細な物が多い。
 襖は平安時代に紙が発達し、大きな紙が漉けるようになり、それまで板襖で社寺や武家で胡紛を塗り、絵を書くなどが見られた。その後紙を貼ることにより今の襖が作り上げられ板より軽い組子の上に紙を貼り、周りに桟を打ち付ける襖ができた。襖の良いものになると、6分子 5分子 3分子など下地の厚さにもよるが。下貼り骨縛り一枚、幕貼り四枚、ベタ貼り一枚、袋貼り、受貼り三枚、清紙一枚の上に鳥ノ子の上貼りと、紙を貼り重ねる、下貼り用の紙は、細川紙、美濃紙、半紙、手漉和紙などで、糊は古い物の方がよく、表具店の床下は何年も寝かした糊の倉庫が見受けられた。襖縁は塗縁が主で檜材に溜塗黒塗など漆がよいが、今日ではカシュー塗の縁も多く、木地縁は、桑・樫・松・杉などいろいろな襖縁がある。

職人今昔 小画像
『全京都建設協同組合ニュース』H11年2月
戻る 目次 次へ
このページの先頭に戻る