アラキ工務店 京都市右京区:京町家、古民家、大工さんと建てる家

アラキ工務店 株式会社 アラキ工務店

町家探訪

3.町家 石場家(続)

(青森県弘前市)

 屋根の勾配は33/100(3寸勾配)。元は石置きの柾葺きであったが、明治末期以降は上から鉄板葺きが施されている。
 積雪の多い時期、戸の開け閉めがスムーズにいかないことがある。これは、雪の重みで鴨居が下がり、戸の開閉を窮屈にするからだ。戸が閉まりにくくなったら雪降ろし。居ながらにして雪降ろしの教えてくれるのも雪国ならではのことである。  雪深い地方で、町家の軒から庇を長く張りだし、その下を通路とした空間をコミセという。年配の方はコモヒとも呼ぶ。

白井 コミセの軒裏は、そんなに頑丈そうにみえませんが…
荒木 いえいえ、頑丈な造りだと積雪による破損箇所がわからなくなってしまいますからね(笑)。悪いところを見つけやすいように、あえて天井を張ってないんですよ。
 白井さん。これは、珍しいですね。梁も土台も、柱の上と下で接いであります。
白井 本当ですね。
荒木 本来、一箇所に仕口が重なると弱くなるのですが、それでも家が持っているということは、よっぽど職人の腕が良いからなんでしょう。
 いい仕事をされてますね。
白井 雪国では、屋根に降り積もった雪を降ろすのは、近所の人々が助け合って雪下ろしをしたといいます。
 コミセもまた、コミュニティの知恵だった。でも、生活様式の変化から、コミセもだんだんと姿を消してゆく…。残念でなりません。

白井 囲炉裏にやってきました。今日は無理を言って囲炉裏に火をくべていただきました。
 囲炉裏が団欒の場とすると、座る場所は無礼講だったのですか?
荒木 昔ははっきりと座り場の序列がありましてね。台所の囲炉裏は奥さんと子供用。当主は常居の囲炉裏の横座に座るきまりになっていました。
 食事も当主だけがここで摂ったと聞いています。
 縁取りは檜葉材。兼平産石で囲い、その上に銅(あかがね)を張りまわしています。
 この縁取りにも収納スペースがあるんですよ。
 横座とは、畳や莚の敷物を横ざまに敷いたもので、上座をあらわす。
 入り口から遠い方が嬶座(かかざ)。
 嬶と向かい合ったところが客座(きゃくざ)または、婿座(むこざ)。
 横座の向かい側が下座と呼ばれています。

白井 それにしても広い間仕切りですね。
荒木 三間というと、5.5mほどですから、これも太い梁があるからこそできる間取りだと思います。
 常居の梁には、年縄がまかれている。1年に1本の縄で3巻づつ巻いていく。これは、身を清めるお祓いに用いたか、あるいは注連縄の一種と想像される。

白井 座敷に一歩足を踏み入れると、他の部屋とは違う雰囲気が漂っています。
石場 こちらは、お武家さんを迎えるための座敷だったといわれています。武士たちは、店を通らずプライベート出入り用の内玄関からこちらに通されたと伺っています。
荒木 立派なお座敷ですね。
 床も天袋・違い棚・地袋と格式高いつくりになっていますし、こちらの座敷はお店と違い、柱の面取りも大きく取られています。これは、武家屋敷に見られるもので商家では珍しいですね。

白井 なるほど。武家を迎えるために武家仕様にしたということですね。
荒木 そうです。ご接待をする座敷だけに贅をつくしたのだと思います。こちらを見てください。天井の梁や柱にも砂擦りが施されています。砂擦りというのは、サンドペーパーをかけ、木目を際立たせる「浮杢つくり」のことで、そのため板自体は厚めのものを使用しなければならず、2度手間がかかります。こういうところにも気の配りようがわかります。

白井 こちらには屏風があります。
石場 この座敷は結婚披露宴などのおめでたにも使われたことがあるんですよ。
荒木 この屏風は鴨居に屏風たてをかけて倒れないようにすることができるんですよ。ちょっと、やってみましょう。

白井 夏が短く冬が長いみちのく。民俗学の柳田国男さんによれば、囲炉裏は、「居る」という動詞からでた言葉ではないかといわれています。
 こうして、囲炉裏の前にすわっていると、なぜか落ち着くんです。囲炉裏は暖をとったり、煮炊きをする場だっただけではなく、家というものの中心であったことがしみじみかんじられます。
 かつて、囲炉裏ばたにすわる座なども厳しかったことは、囲炉裏と人との長い付き合いを物語っているようです。

30分番組のため、一部省略して掲載しております。
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