ふるさと紀行「京町家の美」
熟練職人『作事組』の技~今と昔が共存する町家の佇まい
2002年6月30日、関西テレビ「ふるさと紀行」で、京町家が紹介されました。そこで、弊社の取組が紹介されました。
きっかけは、京町家作事組に話があり、いろんな方に取材されたのですが、結局弊社会長と弊社で施工させていただいた鯉江さんがテレビに映ることになりました。
大変ありがたい話。築山くんの作った仕口見本や、小山くんの道具や、弊社の工場がテレビに映ることになったのです。
簡単にTV放映の内容をまとめましたので、ご覧下さい。
町家の形成
世界遺産「古都・京都」。千年以上培われてきた古都の伝統多くの人が京都に想いをよせてきた。世界遺産に指定されている古都京都の文化財。その1つ清水寺・・・。釘を使わず組み上げられ、木造建築の傑作といわれる。
1,200年の都。年間4,000万人が訪れる。
京都の町を彩るもう一つの遺産、町家。
町家とは、狭い間口と深い奥行きを持つ独特の商家。京都には、今も2万8千戸余りが残る。
度重なる戦乱。時代の流れの中で、たくましく生きてきた町衆。現在の町並みは江戸中期に形づくられた。
通りを挟み、軒を連ねる町家。通りにおおくの商家ひしめき合う形から、自然に間口の狭い町家の形が生まれた。
町家を影でささえる作事組
蒸し暑い京都の夏。夏を涼しく、これが京町家。
奥に深く細長い町家のつくり。いわゆる「鰻の寝床」
京都の夏。その暑さを和らげる工夫がいたるところにみられる。
中庭もその1つ。
荒木さん あの前栽(せんざい)というんですけど、中には奥庭ともいいます。京都の前栽は石も結構多いんですよ。木だけでなくてね。土と石と木とでね、水をやると風が良く通って結構涼しいんですよ。京都の家は『いかに風をよく通すか』というのが主になってますね。
京都の自然の中からうまれた先人の知恵。
この町家を影でささえ、守ってきたのは、熟練した職人たち。
17歳から修業をはじめて50年あまりになる大工の荒木正亘さん。
荒木さんをはじめとする、職人たちが町家の保存と再生に取り組んでいる。
京町家作事組。大工、左官、表具士など町家を知り尽くした職人たちが集まっている。
手をかけてやれば何代でも住み継いでいける。町家は荒木さんたち職人さんのこころの故郷でもある。
家をつらぬく通り庭。火袋とよばれる吹きぬけ。大きな梁がくみあわされ、100年たっても狂う事はないという。
荒木さん この豪壮な感じの火袋が町家には良く合いますね。大工の腕の見せ所ですからね、このへんがね。
町家の有効利用
町家に今新しい風が吹いている。
100年近くたった元呉服商の町家が生まれ変わった。
ケーキ、パスタ、フレンチ、3つの店が古さと新しさの中で調和している。火袋と通り庭の厨房、町家の作りがそのまま生かされている。
庭が呼びこむ風を感じながら過ごすひととき。作事組の仕事が生きている。
より多くの人が通りに面し商売をしたほうが賑わうという合理精神から生まれた造りともいわれている。
職住一体。この町家本来の機能を今、見つめなおす人たちがいる。
町家の修繕は職人の腕の見せ所。古い材料に新しい木を組み合わせる。
新しい木は少し大きめに作る。古くなると収縮するからだ。
呼吸する家町家。湿気を吸収する土壁も大切に残される。
古い天井を生かしたまま、あかるく仕上られた台所。座敷は洋間に変わっても中庭はそのまま残されている。風走る家、町家・・・
町家に暮らす
鯉江真紀子さん。町家に住み創作活動をしている。去年東京から生まれ育った京都に戻ってきた。鯉江さんのテーマは群集。写真を素材にした現代アートに挑んでいる。アトリエを京都に構えたのは、日本画家であった祖父の死がきっかけ。祖父の思い出が残る町家を残したいという気持ちからだった。
鯉江さん 私の祖父が70年間使いつづけたところでしたし、門から入った瞬間に帰ってきたなあと思います。
鯉江さんは京都に身を置きながら、新しい世界に挑戦している。
暮らす商うが町家の基本。
町家は町衆が生み出した、京都の遺産。先人が磨いた技が残されている。
後世に伝えていきたい町家の良さ
荒木さん「大工の技といわれているのは、この町家をつくりあげていくのに何千年もかかっているんですね、その中の究極がこの建物なんですね。そういうものが作れたというのは、先人たちが苦労して苦労して、構築してきたと・・・
いい所は引き継いで、悪い所は直ししていくと、こう言うものをみんなが愛してくれたらね、京都の良さも残っていくんですね」
京都の町家
それを影でささえてきたのは、職人たちの技。
時の流れとともに味わい深まる木と土の家。光と風が走る・・・